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甲斐駒ケ岳開山
山梨県北杜市白州町横手の駒ケ岳神社前宮の一つ横手駒ケ岳神社の「御由緒」によると、1816(文化13)年6月、信濃国の延命行者(小尾権三郎、死後弘幡大人と称される)は入山禁止の駒ケ岳に特に許されて入山、幾多の苦難を克服し険阻なこの山に初めて登山の途を開いた。世に駒ケ岳開山として尊敬され、神徳顕著により崇敬者の登山する者が多い。
以来駒ケ岳教(神仏習合)として発展し、広く県内外に多くの講社が結成され境内や御岳(やま)には神々の石碑が奉納され、1823(文政6)年、元三大師を勧請のみぎり東叡山の宮様から慈恵大師尊影を下賜され同年、神祇管領卜部朝臣長郷から巨摩嶽神社の軸物を賜ったとされる。神祇管領家より「駒嶽神社」の額字を賜り、刻して前宮の鳥居に掲げている。またそれに先立つ674(白鳳2)年、役の行者小角(おずぬ)がこの山で仙術を修め富士山とともにこの山を開闢(かいびゃく)したとも伝えられている。
作家新田次郎が甲斐駒ケ岳開山の話を小説『駒ケ岳開山』に著しており、開山にまつわる事柄を興味深く知ることができる。