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小島烏水
1873(明治6)年12月29日-1948(昭和23)年12月13日。登山家、文芸批評家、浮世絵研究家、本名久太。高松市生まれ、横浜商業学校卒業後、横浜正金銀行に勤務するかたわら、「文庫」記者として活躍、文芸、社会、人物批評に健筆をふるった。
「日本風景論」の影響下にあって、明治30年代のはじめより中部山岳地帯にわけいり、「山水無盡蔵」「山水美論」「日本山水論」「雲表」「日本アルプス」(4巻)など優れた著作を刊行。アメリカ西海岸在勤時代前後の研究・紀行としては「氷河と萬年雪の山」をのこした。
ことに山梨の自然、芸術に関しては、1898(明治31)年、初めての甲州入り以後、多くの記文をのこし、「甲斐山岳の形態美」「山を讃する文」「白峰山脈の記」「不盡の高根」「広重の甲州日記に就て」などが記憶される。日本山岳会創立者の1人、初代会長。著書は前記のほか「烏水文集」「浮世絵と風景画」「江戸末期の浮世絵」など。「小鳥烏水全集」全14巻別巻1巻がある。