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御勅使川
ドノコヤ峠(標高1,518メートル)の東ろくに発源し、大小の支流を合して東北流し、山梨県南アルプス市六科付近で富士川に合流する。同市芦安芦倉付近から合流点まで流路延長約18.7キロ。谷形はV字形で、谷壁は急傾斜を呈し、激しい縦浸食が営まれたことを示す。川床の傾斜は100分の5ないし10であるが、一部では緩傾斜で、広い谷幅を有し、土石の流送、たい積が著しかったことを示す。この川に沿って野呂川林道が走り、桃の木、芦安鉱泉がわき出る。芦倉に発電所がある。野呂川林道の入口に近い。
巨摩山地に横谷をつくり、山地を離れてから南アルプス市の有野、六科、野牛島、上高砂の北境すなわち扇状地の北縁を流れて、富士川に合流する。川の名は貞享(1684-1688年)以前の古文書では「みてい川」とあり、地域では今も「みでえ」と呼ぶ。御勅使の文字は元禄・宝永(1688-1710年)のころ以後のもの。これを昭和初頭ごろから「みだい」とも読まれている。
平素は水量が少ないが、大雨の際は急に大水が出るので、「みでい」は水出川という意味の呼称と思われる。また天長(824-834年)年間この川の洪水を治めるため3度、勅使が下向したので、その徳を伝えるため御勅使川と称したとも言われる。釜無川に西から側突して合流するので、釜無川は中郡方面に流路を屈折してはんらんする。これを防ぐために武田信玄は、有野に築堤して御勅使川の流路を東北へ移し、途中じゃまになる竜岡台地の先端を掘り割って川を通し、赤坂台地の高岩下で釜無川に合流させた。一方、有名な信玄堤を東岸に長く築いて釜無川を南流させた。