【連載】南アルプス 自然と人[9]
山頂への案内人 登山成功の陰に住民の力
「初めててっぺんに立ったウェストンの陰には、地元の案内人の姿があったんだよ」。7月中旬、南アルプス・鳳凰三山の地蔵ケ岳(標高2764メートル)山頂のオベリスク(岩塔)を前に、南アルプス市芦安芦倉の清水准一さん(60)はこう話した。
日本の近代登山の父として知られ、外国人で初めて北岳登頂に成功したイギリス人宣教師W・ウェストンら、南アルプス登山の歴史に名を刻む登山者たち。その足跡の陰には案内人として献身的に働いた地元住民の存在があった。明治から昭和の初めにかけて、登山家を山頂へ導いたのは、ほとんどがその案内人だ。
山のスペシャリストともいえる案内人。登山道整備などによって姿を消したが、今も先導役、山岳ガイドなどと役割を変えて南アルプスを案内する人たちがいる。芦安で生まれ育ち“先輩”たちの姿を見てきた清水さんもその一人だ。
7月16、17の両日には、芦安中全校登山の指導者として鳳凰三山へ先導。生徒の疲労具合を見ながら休憩を挟み、絶妙なペース配分で足を進める。途中、足を止めて貴重な動植物や生態系の変化など南アルプスの姿を伝えた。
1869(明治2)年、「甲斐ケ根山開闢(かいびゃく)願書」を役所に提出し許可を得て、私財を投じ、2年間の苦難の末、北岳への登山道を開設した名取直衛(1817~1887年)、「南アルプス案内組合」の設立に尽力し「芦安案内人」の地位確立を果たした青木久治郎(1885~1957年)…。南アルプス市芦安山岳館の一角には、わが身の危険も顧みず献身的に働いた人々の姿を残す歴代案内人の紹介コーナーがある。
「案内役は裏方の仕事。安全で楽しい山登りの手伝いをしているにすぎない」と自身を語る清水さん。しかし、「登山史の上では裏方でも、その功績は決して名だたる登山者に劣らない」。そう話す笑顔の奥には先人への思いがにじむ。
2010年7月24日付 山梨日日新聞掲載