2016.8.11 News / 芦安山岳館 /

【連載】「甲斐駒開山200年 信仰と暮らし」<2>

山頂に一等三角点 地図作りで必須の名峰

「講が栄えた頃はね、登山道に行者がアリのように連なっていたんだよ」。甲斐駒ケ岳の登山口の一つ、北杜市白州町横手にある横手駒ケ岳神社の今橋武宮司(64)=同所=は、幼い頃に曽祖母から聞いた話をよく覚えている。


今橋宮司の記憶でも1960年代までは毎年7、8月は同神社の社務所が行者でごった返し、先達に続いて頂上へ向かっていった。山田嘉三郎によって開かれた駒ケ嶽講は関東地方を中心に広がり、繁栄を極めた。

石仏、石碑並ぶ 

「威力大聖不動明王」と刻まれた石碑=甲斐駒ケ岳6合目

「威力大聖不動明王」と刻まれた石碑=甲斐駒ケ岳6合目

同神社から始まる黒戸尾根登山道沿いには、駒ケ嶽講の隆盛を伝える石仏や石碑が今も並ぶ。6合目には山を開いた小尾権三郎を祭った「威力大聖不動明王」と刻まれた石碑がある。古文書によると、権三郎が死去した1819(文政2)年、小和田村(現長野県諏訪市)の先達らが設けたものだ。

麓から2合目にかけては、嘉三郎が46(弘化3)年から5年間で安置した石仏33体のうち9体も確認できる。

神道と仏教信仰が混在する神仏習合の駒ケ嶽講は、政府が出した68(明治元)年の「神仏判然令」や72(同5)年の「修験道廃止令」を受けた改組などを経て、現在も宗教法人「神道大教駒岳大教会」として残る。

明治中期になると、信仰の目的以外で入山する人が増えた。伊能忠敬が江戸後期に作った日本地図「伊能大図」を基にした測量が盛んになり、国内各地で技師が山頂を目指した。甲斐駒ケ岳も同様で、91(同24)年に矢島守一が一等三角点「甲駒ケ岳」の標高を定めた。

地形的な価値

山頂に設置されている一等三角点の標石=甲斐駒ケ岳

山頂に設置されている一等三角点の標石=甲斐駒ケ岳

北岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山…。南アルプスを代表する山々が一望できる山頂には、重さ約90キロの標石が置かれている。直方体の表面に刻まれた「一等三角点」の文字。山梨県内に位置する南アルプス山系では唯一で、天を突くようなピラミッド形の独立峰は、眺望の良さから最高ランクの基準点となった。

南アルプス市の南アルプス市芦安山岳館は11年前、南アルプス山系の測量をテーマにした展示を行った。企画に携わった塩沢久仙館長は「険しい甲斐駒を登ってまで三角点を設置した。詳細な地図作りに欠かせない山として、当時から地形的な価値が認められていた証拠」と指摘。「信仰登山の時代から、南アルプスを代表する名峰としての位置付けは不変だ」と話す。

 

2016年8月11日付 山梨日日新聞掲載

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