2015.10.14 News / 芦安山岳館 /

【特集】南ア登山を変えたスーパー林道

自然と共生、議論呼ぶ

県営林道南アルプス線

「林道建設は自然破壊だ」「貴重な生態系がなくなってしまう」-。甲府駅前で、登山服姿の男女約30人が、ビラを配りながら、山梨と長野を結ぶ南アルプススーパー林道の建設反対を訴える。「過疎地域の脱却に林道は必要なんだ。県のやることに文句をつけるな」。通行人からは、そんな罵声も飛んだ。

 

 

 

 

 

「非国民扱い」

南アルプススーパー林道建設反対運動に取り組んだ若月昇さん。「当時は開発ブームで自然保護活動はほとんど受け入れてもらえなかった」と話す=甲府市宮前町

南アルプススーパー林道建設反対運動に取り組んだ若月昇さん。「当時は開発ブームで自然保護活動はほとんど受け入れてもらえなかった」と話す=甲府市宮前町

1967年に国立公園内を通る南アルプススーパー林道の建設計画が発表になった後、同駅前では建設に反対する街頭活動がたびたび行われるようになった。「今でこそ自然保護という言葉が当たり前になってきたが、当時の県内には建設促進の声が根強く、反対を訴えても相手にされず、非国民扱いだった」。建設反対県共闘連絡協議会の事務局長を当時務めていた若月昇さん(69)=甲府市宮前町=はこう振り返る。

若月さんが反対運動を始めたのは、登山をした際に乱開発による自然破壊や災害の恐怖を感じたのがきっかけだった。「身をもって世論に自然保護を訴えよう」。毎月1回、仲間20人ほどと共に南アルプスに登り、約5時間かけて空き缶などのごみを拾った。

 

 

南アルプスの広河原。マイカー規制がされており、民間バスやタクシーで来た登山者は、ここから南アルプス市営バスに乗り換えて北沢峠へ向かう

ダイナマイトなどを持って林道の工事に向かう人(南アルプス市芦安山岳館提供)

若月さんは林道の建設で、貴重な生態系が失われることや、土砂崩落の恐れが高くなることを市民に訴えた。月に1度のペースで環境庁(現環境省)にも陳情を繰り返した。
全国自然保護連合も活動に協力するようになり、反対運動のうねりは全国に広がった。こうした状況の変化に、環境庁は73年、県境の北沢峠部分の1.6キロを残して工事の凍結を指示した。「われわれの自然環境保護の思いが通じた」。若月さんは素直に喜んだ。
しかし5年後、国はルート変更、道路幅縮小など自然保護の諸条件付きで工事の再開を許可した。全国の自然保護団体は北沢峠にテントを張って座り込み、反対を訴え続けたが、80年に全線が開通した。
「林道という名の観光道路で、地元のためということに結び付け、利潤だけを追求した道。思いが通じなかったのは悲しい」。若月さんの胸には今でもじくじたる思いが残る。

 

 

今度はリニア

南アルプスマイカー規制

林道の広河原(現南アルプス市)-長野県伊那市長谷黒河内間は開通当初から通年でマイカー規制が行われている。山梨県側から林道を利用する登山者らは、南アルプス市芦安地区や早川町奈良田地区からバスやタクシーで広河原に向かい、北沢峠行きのバスに乗り換える。バスを運行する南アルプス市企業局によると、利用者は毎年3万人前後で推移し、一定の需要があるという。

「林道の開通は、南アルプスの登山を身近にした」。今となれば、こう受け止める登山者は多い。かつては山小屋に宿泊しなければ登ることができなかった甲斐駒ケ岳や仙丈ケ岳は日帰り登山が可能になった。南アルプス市芦安山岳館の塩沢久仙館長は「林道開通による登山時間の短縮で体力的にも楽に登山ができるようになった。登山者にとっては大きなプラス。開通当初からマイカー規制されているため自然保護もしっかりできている」と説明する。

南アルプスの広河原。マイカー規制がされており、民間バスやタクシーで来た登山者は、ここから南アルプス市営バスに乗り換えて北沢峠へ向かう

南アルプスの広河原。マイカー規制がされており、民間バスやタクシーで来た登山者は、ここから南アルプス市営バスに乗り換えて北沢峠へ向かう

 南アルプスは昨年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の生物圏保存地域「エコパーク」に登録された。そこを貫くリニア中央新幹線の長大トンネル(約25キロ)の建設計画が進んでいる。

トンネルは、早川町の県道南アルプス公園線の新青崖トンネルの下を交差する地点を入り口に、静岡市を経由して長野県大鹿村に至るルート。エコパークで、自然を厳重に保護すべきとされる「核心地域」や「緩衝地域」の直下を貫く。

JR東海は環境影響評価(アセスメント)で「レッドリスト記載種などの保全対象種の生息が確認された場合は適切な対応を講じる」としているが、その影響は未知数でエコパークの目的である「自然と人間社会の共生」が試されるとの指摘もある。

若月さんはこう語る。「一度破壊された自然は二度と復元できない。便利になるということは貴重なものを失うことでもある。忘れてはいけない」〈市川和貴〉

南アルプススーパー林道の歴史

<眺望> 富士山を眺めながら食事をとる登山者。国内最高峰を望む絶景は、疲れ切った体を癒やしてくれる

南アルプススーパー林道が着工以来12年ぶりに完成し、県境の北沢峠で行われた完成式。翌年6月に開通した(1979年11月12日)

【1952(昭和27)年7月】芦安村の桃ノ木橋で野呂川林道(現・南アルプス林道)の工事に着手
【1955(同30)年】夜叉神トンネルが完成
【1962(同37)年10月】野呂川林道の芦安-広河原間が完成
【1964(同39)年6月1日】白根山系、甲斐駒山系、赤石山系からなる南アルプスが「南アルプス国立公園」の指定を受ける
【1967(同42)年】南アルプススーパー林道の建設発表。野呂川林道の改修を含めた南アルプススーパー林道(広河原-北沢峠間)が着工
【1973(同48)年】自然保護の機運が高まり、北沢峠付近を残し工事中断
【1978(同53)年】環境庁(現環境省)が中断していた工事の凍結解除、工事再開
【1979(同54)年11月12日】南アルプススーパー林道が完成し、北沢峠で完成式
【1980(同55)年6月11日】野呂川林道を含めた、南アルプス林道開通式
【1980(同55)年9月8日】広河原-北沢峠間でバスが運行開始

南アルプススーパー林道とは

<眺望> 富士山を眺めながら食事をとる登山者。国内最高峰を望む絶景は、疲れ切った体を癒やしてくれる

野呂川沿いに延びる県営林道南アルプス線。右奥は北岳=山日YBSヘリ「ニュースカイ」(NEWSKY)から

芦安村(現南アルプス市)と長野県長谷村(現伊那市)を結ぶ総延長約56.98キロ。片側1車線、幅員3.5~4.6メートルの道路が南アルプス国立公園内を縦断する。高度成長期の1967年、観光客の誘致や地域振興を目的に着工。急な地形やもろい地質のため、工事には困難もあった。80年に全線開通した。開通後は、野呂川林道を含めて「県営林道南アルプス線」と改められ、「南アルプススーパー林道」の名称は次第に聞かれなくなった。総工費は48億9100万円。林道南アルプス線は甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳の登山拠点となる北沢峠に向かう登山客が利用している。マイカー規制がされており、山梨県側からは、甲府駅や芦安駐車場から民間バスまたはタクシーを利用して広河原へ向かい、南アルプス市営バスに乗り換えて北沢峠へ。長野県側からは伊那市の仙流荘から伊那市営バスで北沢峠へ向かう。バスの運行数は1日に多いときで広河原-北沢峠間が4往復、仙流荘-北沢峠間が6往復運行している。

2015年10月10日付 山梨日日新聞掲載

 

 

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