【南アルプス臨時支局】山小屋盛衰の歴史
登山者ニーズに応じ変遷 「北沢」湧水今も命脈
南アルプスの名峰北岳と間ノ岳をつなぐ稜線の中間付近にある北岳山荘から、標高約300メートル下った樹林帯にひっそりと石積みの跡が残る。登山者の増加に伴い、昭和初期に建設され、同山荘のルーツとなった「北岳小屋」の跡だ。付近には北岳小屋の時代から水場として重宝されていた「北沢」の源流があり、登山者の喉を潤す水源は80年以上が経過した今も、変わらず湧水をたたえている。脈々と受け継がれる山小屋の歴史とその背景をたどった。
南アルプス市芦安山岳館によると、北岳小屋は1929年、山梨県が登山者の拠点として標高約2700メートル付近に建設した。高山帯で、木材など資材の調達や荷上げが困難だったため、現地にある石を積み上げて造られた。当時はテント泊が主流の時代で、オープンした年の宿泊者は72人だった。
現在は広河原からの登山ルートが定着したが、当時は、旧芦安村の夜叉神から入山し、水場となっている北沢を登って頂上を目指すルートが主流だった。しかし、ルートや登山者ニーズの変化に伴い、次第に北岳小屋の存在意義は薄れていったという。
北岳山荘の関係者は「登山者の利便性を重視し、頂上へのアプローチが良い稜線に小屋を移すべきという議論が深まっていった」と話す。
こうして県は63年、稜線にある現在の北岳山荘の位置に「北岳稜線小屋」を整備した。鉄骨建てとなり、居住性が向上。北岳や間ノ岳の登山拠点となった。水はドラム缶に天水をためたり、水場からくんで荷上げしたりして使った。
現在、南アルプスの山小屋で見られるような、山で「サービス」を提供するという観念が定着したのは、北岳山荘が完成した77年以降のこと。山荘を建設した県は、国際的な建築家として知られ、2007年に亡くなった故黒川紀章氏に設計を依頼し、デザインや設備にこだわった。
県観光資源課によると、山荘は鉄骨2階建てで、延べ床面積約540平方メートル。150人を収容できる。光を取り入れやすいように東側に多く配置された窓や越冬用の支柱を室内に設置する必要がないなど頑丈な造りが特徴だ。ここ数年の年間宿泊者数は8千人余りで推移。「登山文化」の大衆化とともに山小屋は繁栄の一途をたどってきた。
南アルプス市芦安山岳館の塩沢久仙館長は、南アルプスの魅力が登山者に認知されたことを踏まえ、「山小屋が登山者に質の高いサービスを提供し、安全確保に努めるのは当然のこと」と強調。一方で、「非日常の不便な生活も登山の魅力。登山者のニーズをどこまでくみ取るのか、登山の本質をもう一度考えるときに来ているのではないか」と話している。
2015年7月29日付 山梨日日新聞掲載