南アルプス登山の変遷たどるきょうから芦安で企画展

 南アルプスと人との関わりを紹介する企画展「南アルプスの登山史を探る」(南アルプス市芦安山岳館主催、山と渓谷社・山梨日日新聞社・山梨放送共催)が15日から、同館で始まる。南アルプスの登山史を伝える貴重な資料が並ぶ中、ひときわ目を引くのが今から60年以上前、北岳の山頂東側のバットレス(大岩壁)の難ルートを初登攀(とうはん)した宮沢憲さんが使っていたピッケルだ。

 宮沢さんは長野県小谷村出身。「風雪のビバーク」の著者として知られ、後に厳冬期の北アルプスで遭難死した松涛(まつなみ)明さんと2人で、1948年7月に北岳バットレスの難ルート「中央稜」を初登攀した。当時、雪渓を歩くために宮沢さんが使ったピッケルを、企画展開催を知った家族の協力で、初めて公開する。

 ピッケルは長さ約77センチ、重さ1.2キロ。現在、一般的なピッケルは全体が金属製だが、宮沢さんのものは、木製のシャフトに鉄製のブレード(手に持つ部分)などを接合。シャフトの上部には「宮沢」の名前が刻印されている。

 このほか、縄文時代から現代に至る南アルプスなどの登山史をパネル写真を交えて紹介。山での狩猟を目的に高原地帯に集落を築いていた人間が、農耕の始まりを機に平地に移住。その後に山が神格化され、信仰登山が生まれたことを伝えている。山の神の象徴として山に祭られ、鳳凰三山・地蔵岳で発見された大日如来像の「懸仏かげぼとけ」も展示する。

 同館の塩沢久仙館長は「山と共に生活してきた先人の考えや登山史を知ることで、未来の南アルプスの理想的な姿について考える機会にしてもらいたい」と話している。

 企画展は来年5月31日まで。

 【写真】宮沢憲さんが北岳バットレスの中央稜を初登攀した際に使ったピッケル=南アルプス市芦安山岳館

 (2012年6月15日付 山梨日日新聞)

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